マレーシアのファインアートバティック画家で有名なサム
カルナはマレーシアのペラ州で生まれ,中学校を卒業後、有名バティック画家を沢山産みだしているペナンへ移り住むことになりました。
その後1960代 まず水彩と油絵から活動がはじまり、その後バティック画家として作品を制作し 1973年タイ、1974年ペナン、1975~77年までオーストラリアで、個展を開きました。
世界で、多くのバティック画家が活動している今日、彼は、水彩や油絵などを描く時に使うファイン
アート(Fine Art)の様々な描画テクニックを、バティック制作時に取り入れました。そこに、ひび割れ、蝋落とし、塩を使ったソルティングなど、マレーシアの伝統工芸バティックだけがもつ技法を組み合わせて、ファインアートしてのバティックの確立をし、さらに、彼の作品では、オリジナルである新しい技法「ダィティック」と名づけたものをみることが出来ます。一般的なバティックの作成工程では、大量の蝋を使用したり、その蝋をわって、ひび割れ模様などを作成するなど、作風に蝋の効果を重きをおきますが、ダィティック技法とは、細やかな筆遣いによる染色の方法に重点をおきます。特徴は、細かい点が絵全体に見ることが出来て、それは、絵画歴史上、点描画で有名なジョルジュ
スーラに似た作風でもあり、奥深い繊細なタッチで見る人を魅了します。
一般的なバティックでは、題材を図案化したものでしか表現することは難しいとされてますが、彼のダィティック技法は、デザイン画はもとより、写実的な作風まで自由に表現することが可能になったわけですから、バティック界において、大革命ともいえる新技法の発見者であるとも言えるでしょう。
1983年、オーストラリア各地で個展を開いたのち、マレーシアに帰国した彼は、そのファインアートと呼ぶバテイック技術を延べ11,000人以上の外国人生徒に教えてきました。教えることにより、このファインアートバティックの可能性の素晴らしさが世界に広まり、アートとしてのバテイックの地位が高まると信じているからです。
そして彼の教える繊細な作品づくりには、特に、日本人に大変人気があり、沢山の日本人が学んできました。
絵を鑑賞することはもちろん、絵を描くという行為は、自分の感情を作品に映し出すことで、人生をより豊かなものにするだけでなく、自身の心の癒しになると薦めています。
バティック画家の新星
―K.C.Haru ―
幼少期より芸術や絵画に興味を抱いていたものの、大学は経営学の方面へ進む事となった。
Chiと呼ばれ親しまれているバティック画家K.C.Haruは日本の中央に位置する名古屋で生まれた。
幼少期より芸術や絵画に興味を抱いていたものの、大学は経営学の方面へ進む事となった。
が、その後、一流の芸術家に師事し油絵、アクリル画などを学んできた。同時に、伝統的西洋の手法に制約を感じ、自分らしさを一番表現できる画材を求め始めていた。
1996年マレーシアに短期滞在をした際に、サム.カルナのバティックに出会い彼の絵画教室に入塾。バティック絵画でこれほどまでに繊細に表現が出来るものとは信じられない気持ちだった、とChiは言う。
日本にも古来より糊を防染剤としたろうけつ染めがあるが、マレーシアでは防染剤として蝋を使用し、またその技法も画一的ではない。他の油、アクリルといった画材同様、奥が深い。その後修行を続けること3年、当地でマレーシアバティック権威者サム.カルナ氏から指導
励ましを受け勉強を続けた。
その作品の特徴は彼女自身があみ出した新しい技法をもとに顔料(色)と蝋を調整し、一般的なバティック作品にみられる(蝋によって出来る)白い線をすべてはっきりと見せないところにある。
これらの技法を取り混ぜ、絵の内面から輝きを出し生命があるがごとく表現をなしている。
また一方で、蝋によって出来るひび割れといった伝統的な技法も大事に、しかも好んでよく使っている。 古典的技法を慈しみながら、新しい感覚を取り入れ、穏やかな中にも高貴な色調で仕上がっている作品のテーマとしては、師匠の影響も大きく、バティックでよく描かれる牧歌的な主題とは違う静物画、現実的な人間の生活などを求め続けている。
今日、バティック教室を設ける一方、画期的な感覚、さらに新しい技法を会得せんと修練を積んでいる。
今まさに、バティックを祖国日本へ持ち帰り、芸術家や愛好家に紹介したいという彼女の夢の実現も遠からぬものとなった。
私はK.C.Haruが、日本のバティック界で一流の名を極めることを心より念じている。
J.ANU
画家/Star新聞美術担当記者